消費者の目線

生協運動の一つの核となる要素は、消費するだけでなく生産に介入していくということ。この点において、生協運動のやり方は単なる消費者のそれとは一線を画するものなのではないかと思う。

 

最近、札幌を訪れたある人が雪まつりの一部を見た後に「雪像しかないじゃん」と言った。それを聞いて少し嫌な気分がした。

200万人都市である札幌は、その近隣の地域を含め、消滅の可能性すら指摘される地方の中では、かなりマシな状況にあるのではないかと思う。例えば飲み屋が一軒もない町だってある。

とはいえ、それでもやはり地方だ。東京をはじめとする大都市に比べれば様々な面で資源や選択肢が少ない。その中で、様々な事情からそういう所でやっていくことに決めた人たちがあれこれと活動している。雪まつりもその一つだろう。旅行者に向けて、と同時に居住者にも向けて、その地域を盛り上げるために魅力を発信していく取り組みの一つだと言えるはずだ。

地域を盛り上げるとか魅力を発信するという言い回しは、個人的にはなんとなく好みではない。昨今の状況下では、この言い回しからは地域間で強いられている競争のにおいがするからかもしれない。しかし、そこに暮らす人やそこを訪れる人が愛着を持てるよう取り組みを展開していくこと自体には、ある種の敬意を覚える。「住民参加」という言葉は、時に公的な取り組みの不十分さを覆い隠すような形でポジティブな意味を過剰に付与されて都合よく用いられることもあるけど、それでも、そこにある「自治」という要素にはやはりポテンシャルがあると思う。「こういう町にしていきたい」とか「こういう学校にしていきたい」とか、どのようなレベルでもいいんだけど、そういうことを考えて実際に動いている人たちは尊敬に値すると思う。足りない所でやっていく、そう決めたからには必要だと思うことをやる、というような真剣さがある。

その真剣さを、東京から来た人が斬って捨てる。先のコメントを受けて感じた後味の悪さは、そういう点にあるんだと思う。

もっとも、お客様を呼ぶイベントである以上、お客様に評価されることは当然とも言える。しかし、もう少し、なんというべきか、愛を持って接してくれないものだろうか。市場の論理で世界を埋め尽くすべきだと思わないのであれば。「商品」の背後にある過程や諸関係にも意識を向けてくれ、とでも言ったらちょっと偉そうかしら。