金曜の夜

一週間が長い。子どもの面会とそれに関わる作業、パートナーのサポート、家事、仕事で埋め尽くされていた。長いと言ったけど、あっという間だったような気もする。変な感じだ。本当はせめて新聞の地方版や本の数ページくらいは読みたいと思ってるんだけど、それもなかなかうまくいかない。もちろん、こうやってブログを雑に書く程度の時間はあるんだが、実感として、ブログを書く時間と物を読む時間は単純に置き換えられるものではない。タイミングや集中の度合い、姿勢、体力など、必要になるものがちょっと違ってくる。

翻弄されている。まあ、翻弄されるのも人の性かもしれない。自分1人だったらどうしたいかということを何よりも重視する、という意味での個人の自由を無謬の前提とする考え方にはどこか疑いを持っている。

しかし、やっと金曜の夜だ。嬉しい。夜、いつも風呂の後には窓を開けて涼んでいて、そのときに近くのマンションをいくつかぼんやり眺めてる。週末になるとやはり明かりのついた部屋が多くなる。時々ある、あの妙な連帯感を覚える。

SNS上で、哲学の研究をしていた頃の先輩やら知り合いの活躍が伝わってくる。ひとまず嬉しいのだが、同時に自分はあまりうまくできなかったなあとつくづく思い、今になっても苦い気持ちにもなる。ドイツ語を読むのは楽しかった。それは今も変わらず楽しいけど、少なくともあの時点では、哲学研究でやっていくための素養がなかったと思う。運が悪いことに、自分の研究対象だった哲学者は、ドイツ語の難解さと音楽をはじめとする芸術分野での議論の深さで知られる人だった。あの時点で、ほぼドイツ語初学者の状態で、人一倍教養のなかった自分にはきわめて相性の悪い相手だった。今は方向転換をして、持たざる者としてしぶとくやっていく、という方向で別のことをやっている。いつかこのへんがうまく繋がって、いろいろなことがしっくりくるようになればいい。

自分なりに納得して今できることに取り組んでいるとはいえ、焦りも時々覚える。俺が僅かなバイト代を稼いで勉強しているとは言えないくらいのペースで本を読んでいる間に、人はがっつり勉強して新しい知見を身につけていたり、たくさん稼いで蓄えを作ったりしているのかと思うと、ちょっと吐きそうな気分になる。オエッと。とはいえ、まあ、こうやって転がっている感じも性に合っている気がする。それで良い。

査読の結果が出るまでどうやら2ヶ月弱ある。その間に新しいテーマに取り組み始めた方が良いような気がしている。そうしないと、もしも残念な結果が出たとき、立ち直って次へ進むまでに時間がかかりそうな気がする。今回なんとか投稿にまでこぎつけたものの、自分には論文を書く力がまだまだないことを痛感したので、次はとりあえず研究ノートを書いて投稿してみることを目標にしている。

ダラダラ書いた。金曜の夜だし、これでいい。