日記再開となるか

 

ひさしぶり。

Hatena Blogって、記事をダウンロードできたりするんだろうか。調べりゃいいんだけど。というのも、本当は自分だけに向けて書くためにオフラインの日記アプリを使うべきなんじゃないかと思っていて、それがなかなか見つからないので、こうしてオンラインで書いている、せっかくだから(?)公開設定している、という心持ちだから。「せっかくだから公開」というのは、なにを期待しているんだろうか。結局人と関わりたい、というかこっちを見てほしいと思ってるんじゃないか、とか思う。

 

近頃、昔のことを思い出すことが多くて、それで日記をつけたいなと再び。懐古の理由は、コミュニティの喪失だと思う。ここ札幌に移り住んでもうすぐ5年になるけど、人間関係がいまいちうまく作れなくてだんだん寂しくなってきた。主観的に「つなぎ」と思っている職や活動ばかりしてきたことが要因として大きいと思う。コロナの影響もある。公的・私的な場で人と会う機会がかなり減った。

ともあれ、今年、ようやく進学がうまくいきそうで、自分が「これだ」と思えるところに所属できるようになる見込み。そうなれば、いろいろやりやすくなるはず。

 

日記再開となるか。果たして。

この間のこと

この間、いろいろ変化があった。

論文が査読に通った。学会論文を曲がりなりにも出せたのは自分にとっては大きい。本当なら早速次のことを考えたいが、資格の試験があるので一旦頭を切り替えなければならない。

必要があって正社員になった。正直、これを長く続けるのはしんどいなと思う。しかし、昨日か一昨日あたりも、雇用情勢が厳しくなっていることが報じられていたこの情勢下、喜ぶべきことなのかもしれない。実際、何かにつけて金は必要だし、経歴の面でもメリットがないわけではない。それでも自分のことがほとんどできないのはつらい、と思ったんだけど、この正社員雇用は経歴の面では先の自分を生かすためのものという意味で、まさしく自分のことをやっていることになるのか。下積みというか。仕方ないか。結局のところ、別のどこかへ繋がっていくはずだという感覚でやっているんだと思う。ここではないと思っているんだと思う。

縁あって、車を手に入れた。以前よりはるかに動きやすくなった。主に通勤と雑事にかかる手間が圧倒的に減った。町が狭くなった。町中への移動も、電車に比べてある種の手間が増える場合でも車を前提に考えるようになった。全体として、コストはかかるが何かと楽になる。生活水準が上がるという場合、この両面が含意されているんだろうなと思った。それで、週末ごとに用事のついでにソフトクリームを食べに行くのを楽しみにしている。俺は何をやってんだろうなと思う。

スケボーを始めてみた。もっとも、ちょっとした移動に使えればそれで良くて、それ以上は今のところ求めていない。滑るのは楽しい。メタ的に見ると、これを始めたことによって、その気になれば自分はまだ気軽に何か新しいことを始められるのだということを感覚的に思い出せたのが良かった気がする。バスケを観戦し始めたときもそういう感覚があった。特にこの間はずっと机に座ることが多かったから、そうではない趣味が見たかったのが良かったんだと思う。

沈み気味

久々に仕事に行ったらなんとなくいろいろなことが嫌になってしまった。なんとなくというのは不正確で、正直なところ、この気分になった理由はある程度目星がついている。最近ちょっと話せるようになってきた、いざとなれば力になってくれるかなと感じ始めていた職場の人が、今日少し先のことについて話している中で、案外そうでもなかったような気がしてきたからだと思う。特に、最近はこちらを評価するような言動がチラホラ見えていた分、梯子を外された思いだ。自分はこれで結構人に親近感を覚えやすいたちだ。それだけに、多少なり人間関係ができてくると安心してしまいがちなのだけど、結局のところ味方になってくれる人なんてそう多くはないのだと感じた。なんだか、みんな人に近づくときも距離をとるときも上手にやるもんだな。

何を隠そう、今回話していたのは正社員登用についての話だった。それもあって、帰宅してからはどうにもやる気が出てこなくて、求人情報を眺めていた。我ながら単純だと思うが、そういう反応が出てくるのも仕方ない。もっとも、気分が沈んだときに重大な選択を行うべきではないことは経験から分かっているので、今はただそういう気分に付き合うだけにしておく。重大な選択はできるかぎり、ゆっくりじっくり、日々淡々と?粛々と?やるべきだ。

 

髪の毛が伸びっぱなしだ。小さい子どもがいることもあって、コロナを警戒して念のため美容院に行くのをやめておいている。バリカン使って激しいやつにしちゃいたい。

気分が上がるほぼ唯一のこと。SIDE-ONEの「ROCK ME ROCK YOU」というアルバム、売り切れ状態なのだが、とあるショップが未開封新品を売っているのを見つけて注文した。この曲の完全版がどうしても聴きたかった。

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このところ、状況の変化に自分が追いついていけない感じがあって、そのせいかどこかノスタルジックな歌が聴きたくなりがち。革ジャン欲しいな。

大人になったら

気に入った曲を繰り返し聴く癖が自分にはある。同じアーティストの別の曲を新しく聴いていくよりも、一つ気に入った曲を何度も聴く方を選ぶことが多い。ある種の怠惰だったり、保守性だったりするんだろうなと思っている。ご飯に関しても同じように、新しい食べ物への興味が弱く、気に入ったものを食べ続ける傾向がある。

この間、the brilliant greenの「そのスピードで」と「There will be love there」、「冷たい花」にハマっていた。久しぶりに夜間にゆっくり作業する時間が取れたこともあって、珍しく、別の曲を聴いてみようと思い立った。そこで検索して、読んだ記事がこれ。

favoriteslibrary-music.com

 

この記事でGLIM SPANKYというバンドを知り、聴いてみた。

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この曲を聴いて、良いなと思った。とにかく懐かしい感覚がよみがえる。シャウトも、存分にやるギターも良い。

「こんなロックは知らない 要らない 聴かない君が上手に世間を渡っていくけど」

「大人になったらわかるのかい」

このあたりの歌詞、「君」「大人」に対する距離感、その他者化は今となっては少しナイーブな感じがしなくもない。しかし、この感覚はたしかにあの時の俺たちの実感だったのではないか、と思う。一方でいわゆる「普通」になんとなくうまく馴染めない感覚を覚え、他方で自分にはやることがあって、どうにか居場所があった。その居場所になっているのがロックやらバンドやら、そのあたりだった。ロックバンドをめぐるこういうあり方を、不幸ぶってるとかウジウジしてるとか言う声を聞いたことがある。そしてそれは望ましい態度ではない、とも。まあ、そうかもしれない。しかし、馴染めなかったという自覚を持つ俺たちはこういう所作の中でたしかに立つことができた。それだけでもまずは十分じゃないかと思う。

懐かしい。なんとなく、夏の新宿や吉祥寺あたりで汗をかきながらギターを背負って歩いたことを思い出す。明るい夏の夜のアスファルトの匂いを思い出す。地方に移り住み、家族を持った今の状態には納得しているが、あの頃の東京には郷愁を覚える。

金曜の夜

一週間が長い。子どもの面会とそれに関わる作業、パートナーのサポート、家事、仕事で埋め尽くされていた。長いと言ったけど、あっという間だったような気もする。変な感じだ。本当はせめて新聞の地方版や本の数ページくらいは読みたいと思ってるんだけど、それもなかなかうまくいかない。もちろん、こうやってブログを雑に書く程度の時間はあるんだが、実感として、ブログを書く時間と物を読む時間は単純に置き換えられるものではない。タイミングや集中の度合い、姿勢、体力など、必要になるものがちょっと違ってくる。

翻弄されている。まあ、翻弄されるのも人の性かもしれない。自分1人だったらどうしたいかということを何よりも重視する、という意味での個人の自由を無謬の前提とする考え方にはどこか疑いを持っている。

しかし、やっと金曜の夜だ。嬉しい。夜、いつも風呂の後には窓を開けて涼んでいて、そのときに近くのマンションをいくつかぼんやり眺めてる。週末になるとやはり明かりのついた部屋が多くなる。時々ある、あの妙な連帯感を覚える。

SNS上で、哲学の研究をしていた頃の先輩やら知り合いの活躍が伝わってくる。ひとまず嬉しいのだが、同時に自分はあまりうまくできなかったなあとつくづく思い、今になっても苦い気持ちにもなる。ドイツ語を読むのは楽しかった。それは今も変わらず楽しいけど、少なくともあの時点では、哲学研究でやっていくための素養がなかったと思う。運が悪いことに、自分の研究対象だった哲学者は、ドイツ語の難解さと音楽をはじめとする芸術分野での議論の深さで知られる人だった。あの時点で、ほぼドイツ語初学者の状態で、人一倍教養のなかった自分にはきわめて相性の悪い相手だった。今は方向転換をして、持たざる者としてしぶとくやっていく、という方向で別のことをやっている。いつかこのへんがうまく繋がって、いろいろなことがしっくりくるようになればいい。

自分なりに納得して今できることに取り組んでいるとはいえ、焦りも時々覚える。俺が僅かなバイト代を稼いで勉強しているとは言えないくらいのペースで本を読んでいる間に、人はがっつり勉強して新しい知見を身につけていたり、たくさん稼いで蓄えを作ったりしているのかと思うと、ちょっと吐きそうな気分になる。オエッと。とはいえ、まあ、こうやって転がっている感じも性に合っている気がする。それで良い。

査読の結果が出るまでどうやら2ヶ月弱ある。その間に新しいテーマに取り組み始めた方が良いような気がしている。そうしないと、もしも残念な結果が出たとき、立ち直って次へ進むまでに時間がかかりそうな気がする。今回なんとか投稿にまでこぎつけたものの、自分には論文を書く力がまだまだないことを痛感したので、次はとりあえず研究ノートを書いて投稿してみることを目標にしている。

ダラダラ書いた。金曜の夜だし、これでいい。

変わりなく過ごしている

流れてくるニュースが絶望的なものばかりでうんざりしてくる。先日の和牛商品券や保障を欠いた自粛要請はもちろん、雇用調整助成金の支給が3月下旬時点で1件しかないとか、成田空港で段ボールベッドに高級布団を敷いた「隔離」とか、今になってもたいして増えないPCR検査件数とか、営業自粛したデパートが経産相に叱られただとか、総じてアホすぎる。というか、確信犯なんだろうな。通っていたライブハウスとか美容院とか、知り合いの顔が浮かぶ。その人たちが壊滅的な打撃を受けていると思うと怒りがこみ上げてくる。

 

自分はといえば、産後の手続きとケアに追われている。今日は健康保険の加入申請書類と出産祝金申請書類が新たに届いた。こういう地味で些細な仕事にじわじわ疲労が溜まってくる。この書類を出すためには○○の書類が必要で、それは△日に届くから×日には出しに行こう…とかやっているうちに、別の◻︎◻︎という書類の提出を求められ、その間に●●の申請が頭から抜けていたから確認しなくては、そういえば頼まれていた◼︎◼︎についても電話で確認するんだった…といった具合だ。

同時に、入院中のパートナーを主に精神的にサポートしていく必要がある。ただでさえ入院はストレスが溜まる上、産後にはいろいろな不安やしんどさがある。このケアがまた正直なかなか大変なのだが、とはいえ、痛みや睡眠不足などの物質的な苦しさを緩和することは自分にはできないので、どんなに頑張っているつもりでも最終的なところで無力さを感じる。産後の本人のしんどさ、それに応じる側のケアの大変さ、このあたりは個人差が大きいと思うので、人の理解が得られる形で言語化するのが難しいのだが、とにかく楽なものではない。「産後クライシス」が世の中で問題になるのもうなずける。まぁ、ともあれ、協力していくのが大事だよね、と当たり前の結論に行き着き、それに基づいて何度も気合いを入れ直すことになる。

 

少し前から友達と少人数でドイツ語を読む会をやっていて、その準備がようやく終わった。文章量はたいしてなかったのだが、この疲れの中で外国語の哲学論文を読むのは大変だった。それでも外国語に取り組むのは楽しい。参加者が互いに遠くに住んでいるため、たまたまオンラインでやっていたのだが、それゆえにこの状況下でも変わりなく続けられていて、世間話の機会にもなるので良い気晴らしになる。この間の情勢のことを考えると、この論文が終わったら一旦方針を変えて、ニュースでも読んでみたいと思った。

喫茶店の思い出を通して

なんだか疲れていたのでパソコンをいじりながらダラダラしていたら、懐かしいブログを見つけた。

 

わき道にそれて純喫茶2

https://junkissa.jp

 

大学時代、今となっては少し恥ずかしい気持ちにもなるが、当時の自分は人がなかなか知らない喫茶店を知っていることが嬉しかった。このブログを見てわざわざ隣町の喫茶店に足を伸ばしてみることもあった。もう何年経つんだろうか。まだ続いていて、すごいなと思う。こういうふうに安定感があるものを見るとなんとなく安心する。

自分にとって懐かしい店がいくつかある。まずは町田のプリンス。凄まじい店だった。遊びやバンド練習の合間に通った。それから、国分寺のアミー。国分寺のライブハウスに出ていた頃によく行った。八王子のフランク。昼飯時には混んでいたけど、空いている時間帯は居心地が良かった。どの店も閉まってしまった。

おそらく人生には局面があって、ある時期とまたある時期が同じ局面にあるのか、違う局面にあるのかによって、感覚が断絶していたり継続していたりする。今の自分は大学時代とは明らかに違う局面にいる気がしていて、こうして大学時代に通った喫茶店のことを思い出すと、なんと言うべきか、崖の向こうにある遠くの地点を眺めているような気分になる。大学院時代に通った喫茶店もまた同じように懐かしいには懐かしいのだが、そこに到達できるのか否かという点で、大学時代のそれに感じる懐かしさとは質的な違いがある。

あの頃はみんながいた、という気分になったが、実際のところどうだったんだろうか。ノスタルジーに侵されているだけで、実際には今とあまり変わらない気がする。仲の良い友達がいて、それが離れていったような気がしていたけど、単純に周りに人がたくさんいて、それが今よりも多かったというだけのことだったのかもしれない。声をかけたり、かけられたりする回数が多かっただけかもしれない。仮にそうだとして、どういう結論を導くべきだろうか。自分にとって多くのものは所詮その程度の関わりでしかなかったと言うべきか、その程度の関わりこそが人生の大半を成す軽視できないものだと言うべきか。どんとの「うわの空」という歌に「いろんな奴が次々と現れて消えていく。さようなら、やさしい人」という歌詞があって、このフレーズは何かを言い当てているように思える。

 

コロナウイルスに関するこの間の情勢を反映してTwitterのタイムラインが殺伐としている。何しろ問題ばかりだし、この局面においては批判や分析、警告、情報共有、その他諸々は必要な態度だと思うので、それ自体は問題ないと思うんだけど、適当なことを喋りにくい雰囲気には違いない。そういうわけで、ここで適当なことを書いて自分なりに息抜きを試みている。