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初めて論文を投稿した。査読を受けることになる。緊張する。ともあれ、提出までこぎつけたことは良かった。

昔、友達が論文執筆と提出について、作業として文章を書き終えることというよりは、締切と提出までの過程に身を置き続けることそれ自体がこの作業の実質なんじゃないか、と言っていた。これが自分には結構しっくりきた。あるとき、椅子は座るためのものというより、次に立ち上がるためのものなんじゃないか、と感じたことがある。同様に、ご飯茶碗は米を入れるためのものというより、ご飯の量を測るためのものなんじゃないか、と思ったこともある。発想の転換がしっくりきた例として。

さしあたり、提出することができて良かった。参加することに価値があると言うつもりはないが、とにかく参加してみることとそれをしないこととの間の隔たりは大きい。というか、質的な違いがある。0と1の違いは1と2の違いよりも大きい、と言ったらちょっと胡散臭い感じがする。むしろ、行為をすることで自分が質的に変化する、といった表現の方がより適切かもしれない。そして、この種の経験に自分は価値を感じている。今回の提出は自分にとってそういう意味を持っている。

この間、仕事を挟みながらも基本的にはぶっ通しで取り組んでいたから、疲れた。一方、いかんともしがたい解放感から自由を満喫するために夜更かししてしまった。ずっとやりたかった部屋の片付けをした。家事をやりたいという感情を自分が持つことになるとは、かつては思わなかった。本を整理した。家族と話して、漫画を読んだ。朝だ。さすがにやっちまった。

コロナウイルスに関して、状況が刻々と変わっていく。そういう状況下で、特に3月下旬以降は、論文に集中するよう心がけた。いずれにせよ自分のことをやるしかないと思ってはいたし、それで良かったと思ってはいるものの、一方では世の中が大きく動いているのに、あたかもそれと関わりがないかのように自分のことに集中することとなった。両者のギャップに、馬鹿馬鹿しさに似た感情を覚えた。どちらも同様にいわばシリアスな事柄ではあるんだけど、切実さのベクトル?が違うというか。