マテリアルなもの

机に向かっている状態が、自分にとってかなりリラックスした状態であることを自覚した。調べ物をしたり、ちょっとした文章を書いたり、そういう些細な活動のしやすさが、ストレスの少なさと結びついているのかもしれない。逆に、今まさにそうしてるんだけど、例えば寝転がりながら文字を書く(打つ)のはあまりしっくりこなくて、ストレスを感じる。「文章は背中で書く」というようなことを誰かが言っていた気がする。要は、ある行為に対しては何らか適切な状態があるということだと思う。そして、私には好きな行為がいくつかあって、それらの行為をやるにあたっては机に向かった状態が適切なんだと思う。

単純な話だが、実際マテリアルなものは馬鹿にできない。何かを促進したり、妨げになったりする。そういう具体的な威力を持っている。

マテリアルと言えば、久しぶりに筋トレをしてみた。この間、寝る前に『ホーリーランド』を読んでいたら筋トレがやりたくなったから。これまたシンプルな話だ。別の動機もある。雪かきをした時、背中の上部がちょっとした筋肉痛になって、その感覚が気持ちよかったからもう一度味わいたくなった。あと、体をもう少し思い通りに動かしたくなってきた。観念を実現するために物質的なものへの支配を強める、ということになるのかしら。それとも、身体と和解する契機もそこにはあるのかしら。

物質という言葉は考えてみると面白い。物であり、質がある。Idealismusがあまり重視してこなかったものがよく表現されている。Materialismusに物質主義という訳語をあてても良いのではないかと提案していた先輩がいて、当時、多くを気付かされた。