変わりなく過ごしている

流れてくるニュースが絶望的なものばかりでうんざりしてくる。先日の和牛商品券や保障を欠いた自粛要請はもちろん、雇用調整助成金の支給が3月下旬時点で1件しかないとか、成田空港で段ボールベッドに高級布団を敷いた「隔離」とか、今になってもたいして増えないPCR検査件数とか、営業自粛したデパートが経産相に叱られただとか、総じてアホすぎる。というか、確信犯なんだろうな。通っていたライブハウスとか美容院とか、知り合いの顔が浮かぶ。その人たちが壊滅的な打撃を受けていると思うと怒りがこみ上げてくる。

 

自分はといえば、産後の手続きとケアに追われている。今日は健康保険の加入申請書類と出産祝金申請書類が新たに届いた。こういう地味で些細な仕事にじわじわ疲労が溜まってくる。この書類を出すためには○○の書類が必要で、それは△日に届くから×日には出しに行こう…とかやっているうちに、別の◻︎◻︎という書類の提出を求められ、その間に●●の申請が頭から抜けていたから確認しなくては、そういえば頼まれていた◼︎◼︎についても電話で確認するんだった…といった具合だ。

同時に、入院中のパートナーを主に精神的にサポートしていく必要がある。ただでさえ入院はストレスが溜まる上、産後にはいろいろな不安やしんどさがある。このケアがまた正直なかなか大変なのだが、とはいえ、痛みや睡眠不足などの物質的な苦しさを緩和することは自分にはできないので、どんなに頑張っているつもりでも最終的なところで無力さを感じる。産後の本人のしんどさ、それに応じる側のケアの大変さ、このあたりは個人差が大きいと思うので、人の理解が得られる形で言語化するのが難しいのだが、とにかく楽なものではない。「産後クライシス」が世の中で問題になるのもうなずける。まぁ、ともあれ、協力していくのが大事だよね、と当たり前の結論に行き着き、それに基づいて何度も気合いを入れ直すことになる。

 

少し前から友達と少人数でドイツ語を読む会をやっていて、その準備がようやく終わった。文章量はたいしてなかったのだが、この疲れの中で外国語の哲学論文を読むのは大変だった。それでも外国語に取り組むのは楽しい。参加者が互いに遠くに住んでいるため、たまたまオンラインでやっていたのだが、それゆえにこの状況下でも変わりなく続けられていて、世間話の機会にもなるので良い気晴らしになる。この間の情勢のことを考えると、この論文が終わったら一旦方針を変えて、ニュースでも読んでみたいと思った。